
各地のコワーキングスペースを巡り、日本のコワーキングの「今」を体感するコワーキングツアー。そこで見聞したコワーキングのあれやこれやを切り取ってご紹介するコラム、その27回目は、長野県諏訪郡富士見町の「富士見 森のオフィス」さんにおじゃまし、津田賀央さんにお話を伺いました。
(取材・テキスト / 伊藤富雄 取材日:2016年8月22日)
富士見 森のオフィス
〒399-0211
長野県諏訪郡富士見町富士見 3785-3 楽山荘
TEL. 0266-78-8009
好きなところに住んで、そして仕事もしたい
富士見町におじゃましたその日は、あいにくの空模様だった。駅からクルマで数分のところにある「森のオフィス」さんは、その名の通り豊かな緑の中で雨に濡れていた。
津田さんは、実は大手電機メーカーの現役社員だ。「リモートワークですか?」と訊いたら、「いえ、ダブルワークです」と返事が返ってきた。つまり、週の半分を品川の本社で仕事し、後の半分をここ富士見町の「森のオフィス」でその運営にあたっている。なかなかにハードだが、そういうことをする人が、日本のコワーキングにも現れた。
ただ、同社でもこういうケースははじめてのことで、特別に許してもらっているのだそうだ。そもそも、コトの起こりは何だったのか。
ぼくは以前ずっと広告業界にいたんですが、自分が思い描くサービスの企画開発をもっとやりたいなと思い立ちまして。それは、消費するだけではなくて、持続性のあるものですね。
そんなときに同世代の友人が今の会社に転職したんです。で、たまたま電話がかかってきて、「うちに面白い部署ができた。エンジニア主体の部署なんだけど、企画できるやつがいないから、来ない?」って言ってくれて。
最初は先端研究開発部っていう、エンジニアが150人ぐらいいて、プランナー(企画)と呼ばれている人間はその中で3人しかいない状態でした。結構面白く、楽しくやらせてもらいました。
人は人に出会うことで、行く道が変わる。面白いので、話を続けていただく。
実際、業種が変わるとこういうことかといろいろ分かりました。前より大きな会社に入ったので、やっぱり日本のサラリーマン的な働き方というのがもっと大きく、強くなった。
その一方でぼくの周りの働き方を見ると、フリーランスの人たちも増えてきたし。あと、ベンチャーの社長を始めた人とかも増えてきた。ぼくは山が大好きなんですけど、フリーランスなんて一ヶ月間山にこもっちゃったりとかで。(笑)
それと、うちの会社にはアメリカとかヨーロッパとかに支社がいっぱいあるんですけど、彼らは普通に家族同伴でこっちに出張でやってきて、その後、日本を旅行して帰るんです。北欧の支社の人なんかだと1ヶ月半ぐらい夏休みをとってその後会社に来ないとか、アメリカなんか9時~17時ですぱって終わって帰っちゃいますから、「ずいぶん働き方違うなあ」と。
そういう働き方を目の当たりにしながら、自分の生活のスタイルを省みたときに、「ほんとにこれからの10年、この働き方でいけるのかな」と思いはじめた津田さんは、「よし、ワークスタイルを変える実験をしてみよう」と思い立つ。
今後はおそらく、テレワークは当たり前になり、遠隔でコミュニケーションを行える技術も増えていく。さらには、一社だけで働くということもなくなる。プロジェクト単位でみんな仕事をしていくんじゃないか、と考えた。
ここ数年、テクノロジーの発達と、働く人のマインドがどんどん変化して、実際そのとおりに変わりつつある。トヨタの総合職は毎日出社しなくてもよくなり、ロート製薬は社員に複業を奨励し始めた。
そもそも自分の子供たちの住む場所っていうのが、お父さんの通勤経路に合わせて決まってくるというのが、むしろ選択の幅を狭くしているんじゃないかと。そういうこともあって、もっと自分の好きな場所、自分の家族を含めて好きな場所に住めるようにしようと思いました。
ぼくの場合、山に登るのが好きなので、山の近くで自然の中で住みつつも、東京に通ったりとか、遠隔で仕事できるようにしたりとか、そんなことを思っていたときに、たまたま、うちの家族で八ヶ岳にキャンプしに行ったんです。その帰り際に、八ヶ岳の村の風景がすごくきれいで、うちの嫁が、「こんなところで子育てがしたい」と言い出して来た。
もうその言葉が出るべくして出たという流れだ。この時点では、「3~4年後に八ヶ岳に住もう、長野に住もう」というつもりだった。
一本のメールが働き方と生き方を変える
ところが、今度は周りの人たちがいろんな人を紹介してくれるようになってきた。
次の年の春、富士見に移住してもう10年ぐらいの建築家の人たちを紹介してもらったんです。その人たちに会って、結構意識ががらりと変わりました。はじめて、自分たちと同世代の人たちの移住の話を聞けたんですよ。それまではセカンドライフ的な話が多くて、ピンとこなくて、こっちはまだ仕事ばりばりやっているし。その人たちの話を聞いて、どうやって生活しているか、どんなライフスタイルを過ごしているかというのを聞いて、すごくしっくりきました。
うちの嫁がその建築家の人に「こっちへ来たら来たで、何をしたらいいかわらなくて」という話をしたら、その人が「何もしなくていいんですよ。この辺は食うには困らないし、食べ物は沢山あるし、くれるし、家賃も安いし、自然はいっぱいだし、時間はゆっくりだし。なので、何もしなくて過ごしているだけで、何かしたくなるから。何かしたくなったらすればいい。」と言ってくれて、二人とも肩の力が抜けて、「あ、そんなんでいいんだ。」と。
しかもその人たちが醸し出す雰囲気が、この富士見を象徴しているような気がして。だったら、八ヶ岳のどこかに住みたいんじゃなくて、ここに住みたいなと、ここに住む方法を考えようと。
まるで、TURNSやソトコトを読んでるような錯覚に陥りそうだ。
このリポートはコワーキングがテーマだが、そこに映し出される人間模様には、毎度、驚かされる。以前から、「コワーキングは場所ではない、人だ」とくどいように書いているが、その「人」それぞれがさまざまなストーリーを持ち合わせている。それらがミックスされてひとつのコワーキングが醸成される。人の物語のないコワーキングというものは、存在しない。
しかし、津田さんにはもともと移住先で実現したいプランがあった。
一方でぼく個人としては、ただ単に会社を辞めて、「移住しまーす」というのは嫌だったし、なおかつ、ワークスタイルを変える環境を作りたかったので、元々来る前から、コワーキングスペースみたいな、もしくはタイムシェア型のシェアオフィスみたいなものを作りたいなと思っていたんです。
ただ、移住したいだけではなかったのだ。
そんなときに、たまたま富士見町の役場のホームページで、「富士見町テレワークタウン計画」の企画書を発見する。内容を見ると、町の空き物件や空き施設を利用して、自宅兼オフィスとして使えるようにする、それに対して補助金を出すというプロジェクトだった。2014年の6月のことだ。
これこそ、自分がやりたいことだったのだが、元々ずっとプランナーだった津田さんは、あまりに資料が少ないことに「この企画書はないだろう」と業を煮やし、読んでいる間にいても立っても居られなくなって、その場で役場にメールを送った。この行動力がモノを言うことになる。
「ぼくはそろそろ富士見に住みたいと思っている。しかもこういうプロジェクトは自分でやりたいと思っている。でも、これでは東京の企業はだれも反応しないから、ぼくにやらせてください。」というメールを打ちました。
反応ないかなと思っていたら、一週間後に、品川まで役場の人たちが来てくれて、その2~3週間後に今度は町長に会うことができました。それが2014年の7月ですね。
そこで、「津田君、プロジェクトを手伝ってくれ、君、やるからには、こっちに住んでいないとプロジェクト全体が嘘になる、いつから住むんだ」と。そんな売り言葉に買い言葉的な感じで。(笑)それまでは、3年後ぐらいと考えていたんですけど、次の年の春には住むことになって。
すごい前倒しだ。ただ、こういうことは勢いが肝心だ。思い立ったが吉日とも言う。
そうしてこのプロジェクトは、富士見町の一軒家を自宅兼事務所として使ってくれる個人事業主もしくは中小企業の人たちを募集する形でスタートした。ちなみに、1年目の家賃は全額、町が保証し、二年目、三年目は、半額を補助するというものだ。それに対して60組の応募があったというから反響の大きさが判る。これを機に、津田さんもついに富士見町に移住する。
都会と里山、そして地域住民同士をつなぐ公民館として
だが、一軒家にいるとずっとこもって仕事しているだけなので、コミュニケーションが生まれない。そして、津田さんのミッションはそこにあった。
僕がやりたかったのは新しい仕事のスタイルを作りながら、地元の人たちと知恵を交換するようなコミュニティを作りたいということなんです。で、「みんなが集まる場所が必要です」と言ってたときに、たまたま見せてもらったこの物件に惚れ込んでしまったんです。
10年ぐらい使われていなかったものなんですけど、ここをいろんな会社やフリーランスの人、もしくは町の人たちが使えるような場所として、絶対このかたちでリノベーションして残すべきです、と話をしたんですね。それで、町も「よし、やるぞ」ということになって、それが2年目からのプロジェクトです。
2015年のことだ。ここに非常に重要な発言がある。「地元の人たちと知恵を交換するようなコミュニティを作りたい」、そして、「みんなが集まる場所」。つまり、都会から誘致されてやってきたワーカーだけで閉じこもるのではなく、地元の人たちも使える場所としてオープンな運営をするということを明言している。
それ以前に津田さん自身が東京でコワーキングを使っていて、ただ働く場所、作業の場所のためだけではなく、集まる人たちが自由に交流するコミュニティであることをよく理解していた。だからこそ、強く提案できたのだろう。
昨今、地方都市では特に東京圏からの移住を前提として、企業にサテライトオフィスと称する施設への入居を促す活動が盛んだ。その地のコワーキングが、そのための「場所」として利用される話もよく耳にする。
しかし、ただ人が移動すればローカルの抱える多くの課題が解決するわけではない。また、入居した企業だけで閉じられた小さなコミュニティを作っても、その効果は地元になんら波及しない。何か、そこで、地元の人とも交差してスパークを起こし、新しい価値を生み出す営為がなければ、そもそも移住してもらうことには何の意味もないのだ。
ぼくのミッションは「都会と里山、そして地域住民同士を繋ぎ、双方が新しい仕事、働き方、暮らし方を作り出すヒントを得られる機会を提供する」こと、そしてビジョンとしては4~5年後、こうなっていたらいいなというものなんですが、「地元の人や移住者、都心からの利用者がお互いの知恵やスキルを提供しあい、自分の仕事とか生活に対して新しい刺激を得られる場になっていきたい」。そんな風に思って、今、やっています。
そしてそれには、公民館的な場所として地域住民が使って育てていってくれるというプロセスが必要であり、新たなビジネスや雇用の場にしていきたいとも抱負を語る。
そのためには、利用する企業や個人事業者の人たちが地域住民と積極的に関わっていくことだと思います。ぼくらはその場が育つように、盛り上げ、切り盛りしていくことに徹するんです。
ややもすると行政は、「ハコを作ること」に腐心しがちだが、仏作ってなんとやらになるケースもあるように聞く。そうではなくて、そこで「コトを起こす」ためにはどういうコミュニティを組成するか、そして、そこに集う人たちに応じていかにフレキシブルにその姿を変えるか、そのことをきちんと弁えた設計が必要だ。コミュニティは生き物だからだ。
こういうことは、しかし、案外、外部の人間の目から見たときにくっきり像を結ぶ。津田さんは、まさにそのひとりであったわけだ。そうして、2015年12月12日、「森のオフィス」はオープンした。
ファーストユーザーの利用満足度を上げていく
長野県は観光に強いという印象があるが、「観光以外の交流人口を増やしていくっていうことが、こういう場所のポジションなんじゃないかなと思う」と津田さんは言う。そして、実際に働く場所を問わないフリーランサーで自然の中で住みたい人、もしくは週末、たまにこういうところで仕事してみたいと思っている人に対する取り組みも行っている。
東京でTURNSとタイアップして、二拠点ワークスタイルを実現するためにはどうすればいいのか、というテーマでワークショップをやったりとか、あとは個別に、ぼく自身が発信していると移住についていろんな相談を受けるので、ワークスタイルを変えていくのはどうしたらいいのかとか、お一人ずつ丁寧に対応しています。
その逆に、こっちでそうしたイベントを開催して外から呼び込むということは敢えてやっていない。
ここではどちらかというと、いまもうすでに来ている人たち、入居企業の人たちだったりとか、ここを使ってくれているフリーランスの人たちの交流を作るということを重視していて、外から呼び込むのは二の次にしています。
ここで交流が生まれることで、「あそこいいよ」という評判が広がったり、もしくはその人たちが仲間を連れてきてくれたりとかするので。最初の一年は、今いるファーストユーザーの利用満足度を上げていくことが最優先ですね。
ものには順序がある。「人が人を連れてくる」というのは、先日の「イイトコ」さんでも聞いた言葉だが、コワーキングの原点だ。
元々、ぼくの本職はサービスデザイン、UXデザインで、新規事業系のプロトを作ったりとか、最初のサービスをデザインしていくということをやってるんですね。
で、ふと、冷静に考えてみると、これも結局、新規サービスだよねと。新規サービスを起ち上げる上で、最初に包括するところはどこだっけと言えば、初期ユーザーのコミュニティ作りを通じてだんだん広げていくということなんですよね。だったら、コミュニティデザインをぼくがやっていこうと。
一方で、外では、まあ東京の方では、みんなに興味を持ってもらうための、プロモーション的なこともするんだけれども、やっぱりメインはここのサービスの質を上げていって、だんだん地元にも受けいれられていく、そういうコミュニティにしていくのが重要なんだと思うんです。
どうも日頃からぼくが話していることばかり津田さんの口から出てくるので、「そうそう」とうなずくばかりだ。
3つの改善を自主的に行うコワーキングへ
ここの施設は武蔵野大学の所有物で、町が武蔵野大学から無償で借りている。その代わり、リノベーションの費用を、総務省の地域創生の補助金を利用して、町半分、補助金半分で賄っている。
津田さんは、地域町おこし隊として参加しているスタッフ3名(※取材当時)のマネジメントと、この施設の運営管理を請けている。ただし、コワーキング部分は、前述のように柔軟な対応が求められるが町では少々荷が重いということで、津田さん自身の会社、 Route Design合同会社の自主事業として行っている。
2階の個室入居者は7社が東京から、1社が奈良からで主にIT系だが、電力自由化のベンチャー企業も2社利用している。さらに2社のWeb系システム開発会社と、ITベンチャー企業、それと、8社目としては長野に本社がある基幹系インフラのIT企業だ。(※いずれも取材当時)
彼らを対象に、特別、セミナーやワークショップのたぐいは行っていないが、人材の紹介や地元の金融機関とつないだり、起業、創業に関わることは個別に対応している。ただし、最初の一年目は、ワーカーがこの場で仕事しやすくなるための環境作りの段階なので、積極的に新しいことはしない方針だ。
それよりも自分たちはいつもの仕事をここでする、ここでしやすくするためにはどうすればよいかを考える。さらには人的交流が会社間で生まれて、普通に現場レベルで仲良くなって、一緒に飯食うっていうための雰囲気作りをどうするか、それから自分の同僚とかをいかに連れてきやすくするか、この3つがたぶん、業務環境としての向上につながっていくだろうと思います。
そこをゴールとして、仕事環境の改善と食事面の改善と、コミュニケーションの向上を軸にいろんな施策をしていきます。そして、それをなるべく入居企業の人たちが自主的にできるようになればいいなと。
大企業に勤めながら、地方都市でコワーキングの運営もする。二拠点ワークは、このところ徐々に広まりつつあるようだが、ただ、2つの点を行き来するだけではつまらない。
「双方が新しい仕事、働き方、暮らし方を作り出すヒントを得られる機会を提供する」というミッションに向かって、自ら実践する津田さんの語り口調は、柔らかだが気概に満ちている。そこには、ダブルワークを許してくれる会社や同僚に対する感謝の念も込められている。
いろいろな人がいろいろな想いでいろいろなコワーキングを動かす。そしてそこにまた人が集まりスパークを起こす。ダブルワークでこそ実現する未来もあるはずだ。またひとつ、新しいコワーキングに出会えることができた。
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